あすなろの実

学び場もいがいとおもしろかったりしますよ!どうぞ見ていってください。

多面性、多様性

主にアジアが好きで韓国、中国、台湾、インドネシアベトナムカンボジア、タイ、インドなどに行きました。

新婚旅行にインドに行きたいと言うと大反対され、頓挫。

カンボジアに家族で行ったときに、まわり方々からなぜ?と聞かれてう~んなぜなんだろう?と考えました。 

もしかしたら、多面性、多様性なのかな?

 

関健作さんは、写真家です。

彼のホームページは

www.kensakuseki-photoworks.com

彼の写真を見ると

 子(人)は、いろいろな顔があって多面性、多様性があると思う

 友だちといるとき、勉強しているとき、親といるとき、手伝いをしているとき、宗教に触れているとき‥等々

関健作さんはブータンで教員をやっていたとあります。なるほど合点がいきました。

 

私も(誤解をおそれずに言うと)

 その人の純粋な面を信じることはしますが、その人の一部の行動は安易に信じないというふうになります。
 『信頼はしているが、信用はしない』というふうに私は表現することがあります。

教育のなかで、その子の純粋な『わかるようになりたい』『わかってうれしい』という部分は、心から信じます。そこの部分があるので続けていくことができます。

それなので、子が何か課題をやってこないとしても『もっと気持ち良いことを継続しなくちゃだめでしょ!』と言えます。

逆に私が叱るときは、その子自身が自分のその純粋さのようなものを見ないようにしたときです。それが習慣になってしまうと、本当の自分から離れていってしまうように思えるから‥でしょうか。

プルーン

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今年もプルーンを送っていただきました。

ありがとうございます。

(^o^)

 

あの頃を思い出しながら、いただいています。

中学校2年生の自我の目覚めまっさかりの女の子

彼女とは、私と教室でも部活動でも生徒会でも一緒で負担をかけてしまいました。

子は担任を選べません。

どうしょうもなく、初任の女性先生に朝夕の学活に来てもらって

『今日から二人担任です』と言ったときの彼女、彼らの驚いた顔は今でも思い出されます。

若い未熟な私を、保護者の皆さんが見捨てずに助けて頂いたこと今でも感謝しています。担任を終えた後、その地域を離れる2年後にまで送別会を開いていただき、ほんとうにありがとうございました。

あの頃にいただきましたお心により、こうやって教育に関わることが続けてこられたと、ほんとうに感謝しています。

あの学校も先日統合されて新しい校舎になったとのこと。

あの地域のこと、プルーンをいただきながら懐かしく思い出しています。

皆様のご健康とご多幸を、遠い地からではありますが、心からお祈りいたしております。

 

少年Aとのつきあい

 前回の嘘をつくことに関連してです。

 自分の昔話です。重たくなってしまいます。

数年前に私が担任をしていた学年の同窓会があった。私は遠方であったので、お便りと写真だけで、申し訳なかったが参加できなかった。

 その同窓会の後に、幹事さんが集合写真を送ってくれてそれを見たら、青年中年になったAが、写っていた。う~ん、相当苦労しているような顔をしているなあ。

           

 少年Aは、教員時代に唯一私から逃げきった子だった。当時の私はしつこかった。ある面、親よりも‥。

 当時のクラスは今から思うと崩壊学級だった。3年間クラス替えがないところに私だけが担任交代で2年生から入った。当時、女子は能力が高い子が多いが、教師への不信感で全く言うことを聞かない子が多く、男子は無気力な子や、あきらめの個人主義の子が多かった。

その後の歴史があって、一年後の4月修学旅行のときには全く雰囲気の違ったクラスになった。その学校は修学旅行は、クラスのなかでさらに班分けをして、その班ごとに事前にすべて計画をたてて、それぞれ京都、奈良の好きな場所をまわるという、今考えても先進的なことをしていました。そのころには、自分たちで班づくりをして、孤立しがちな子をどうするかを放課後遅くまで班長が集まり知恵を練るほどになっていました。

修学旅行の当日、奈良公園でこっそりと見守っている私を見つけて『組長~!』と人懐っこく駆け寄ってきてくれたのが少年Aでした。         

 また勉強嫌いな少年Aでもありました。2年生のときは、親御さんから勉強しなくて困っていると連絡を受け、家庭訪問をしました。親御さんには、勉強しろと今言うのではなくて、学習習慣は生活習慣の上に成り立っているので‥まず生活習慣をと間に入って親御さんにも考えてもらうように言った記憶があります。

 当時私は自惚れていました。各クラス不登校生が多いその学校で私のクラスだけが不登校生がいない。うまくいっているのだと‥。まだ自分があったんですね。

今では良い意味でさめています。

今では、自分が子たちにどう思われても良いと思っています。 

今は自分にできることは何かを分析し、それをやるのみだと思えます。     

 進路が迫ってきた時期に少年Aは家出をしました。新聞配達のバイトをしてそこで知り合った有職少年のグループに入ったようです。学校にも来なくなりました。

 私は何とか彼に会って話がしたい。何とかしてやりたいの一心でした。彼の家に泊まりこんで彼が帰ってくるのを待っていたこともあります。

そのときに、彼の兄(有職少年とつながりがある)を通じて親に彼が言ったことは『今回、親や担任の私が何も言わなかったら、家に帰ってもよい』という条件でした。

私は絶対反対でしたが、親に『先生今回だけはたえてくれ』と言われました。そしてそれから夜こっそりとぬけだして遊び歩くなどエスカレートしていきました。

当時学校にも来ない彼の家に家庭訪問をしたときに、家の裏口の引き戸をあけた瞬間に

防犯ブザーがビーと鳴って驚きました。彼の親ごさんもそれくらい夜ぬけだす彼に苦労させられていたのだと思います。

 クラスのなかで彼をどうやってむかえるかを考えたり話し合いをしました。そうすることは校長先生も教頭先生も反対でした。やんわりと釘を差されました。今考えるとわかります。それをやって一番傷つくのは、いい気になっている私かもしれません。それでつぶれていく先生をたぶん何人も見てきたのでしょう。

 その後一度彼が学校に来たことがありました。そのときに彼と話し合い、最後は泣き落しで学校に来てくれと懇願しました。それでも彼は来なかった。

 土曜日部活動が終わってから、いったん帰り、その後全員集まってクラスで話し合いをしました。そのなかである女の子が言った言葉『彼は嘘をつくから‥』言ってから、あ、まずいと私の顔を見ました。みんながわかっていて、私があまりわかっていないことが、嘘つきということだったのだと思います。

 とうとう彼は、親に『学校には行っている。だけど担任の私が嫌いだから朝と帰りの学活には出ていない』と嘘を言い出しました。その嘘に加担したのが、彼の家に給食等を届けていた私のクラスの数名の子でした。

 当時の私は裏切られたという気持ちに正直なりました。

嘘つきは、本当に親身になろうとする人を遠ざけます。嘘をつけば、自分のまわりに残る人は自分を利用しようとする人ばかりになる。

 彼は高校受験をせずに、職業訓練校を受験すると言って親をだまし、受験前日にまた家出をして受験せず。そのころには有職少年たちは彼を下っ端として扱いだして彼にとっては苦労な状態だったそうです。それから逃げるため、遊ぶための遠くにある職業訓練校受験だったようです。しかしそれも一週間に一回の実家帰りを強制されることがわかり、それからも逃げだしたようです。

 その後、彼は卒業式には出ずに校長室で、学校長、親御さん、私で本人に卒業証書を渡すのみ。たった5分間の卒業式でした。学生服も着てこない彼を、校長先生はいいから、もうやっちまおうと私に言いました。

 

20年後の、その同窓会で、少年Aは他の人に言っていたそうです。

『先生が昔、自分の家に来てくれて、泊りこんでくれたんだ』と。  

それを幹事からの手紙で知って、私はどう感じたか。

正直もう彼のことはどうでもいい。できるだけ現場ではつきあいたくない。自分がある面冷めて、変わってしまった私は、20年経ってもその気持です。

 嘘をつく。今は‥小学生はある程度つきあえますが、中学生以上で上のような嘘は‥

まずお金をもらいたくない‥自営になった今、正直私は全力でそういう人から逃げるかもしれません。       

         

 乱筆すみません。 

嘘をつく

まず、私も嘘をつく子でした。

 あるとき厳しい父から、ここに座れ!と言って問い詰められました。

おもわず『友だちが‥』と友だちのせいにしてしまいました。

今でも、そのときのザラザラとしたものが胸のなかにあります。

 嘘つきは、弱さです。 

弱さですから厳しく指導しただけでは、よけいに弱さが増すことになりかねません。

 そして日常的に嘘をつく子は、成績があがりません。これも数多くの経験からいえます。

あすなろスクールでも、算数のプリントと答を渡してできるだけやってきてとするのでうが、答を写して来る子が過去に、何名もいました。そういう子に手をかけて手をかけてなんとか、なんとか‥とするのですが、結局は退塾になるという例があまりにも多いです。助けてあげられない、挫折感‥あります。

 学校で宿題として出した、数学副教材のワークブックでも数学の先生は生徒に答を渡すかどうか、悩んでいるように見えます。答を渡さないと間違えたままでくせになります。渡せば、写して来る子がいる。結局解決策はみつかりません。

 私の嘘つきですが、なるべくごまかさない生き方をしたい、もっとすがすがしく自分の気持ちよい生き方をしたい!と強烈に意識したのは、

恥ずかしいのですが‥赤毛のアンを読んだときでした。

この小説を読んで、もっと誠実に真っ直ぐに生きたいと 思ったという‥

ちょうど、自我の目覚めという時期と、赤毛のアンを読んだ時期がリンクしてそうなったのだと思います。

 昔、個々の先生で、おすすめの本を紹介して読み合わせをしてください。という時間がありました。私は読み合わせをやめて、赤毛のアンのアニメをまず見させて、その後いかに赤毛のアンがすばらしいかを書いた本の一部をコピーし、それを読み合わせ。その後は、私の勝手な赤毛のアンの思いを語ることをしてしまいました。それぐらい好きで‥(その後図書室の赤毛のアンシリーズは貸し出しがすごくのびたそうで、図書担当の先生からお礼を言われて、本来怒られるところ逆で‥恥ずかしかったのを覚えています)  

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https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00CALUCJ6/voyage-future-22/ref=nosim

~あの脳科学者の茂木先生も、赤毛のアンの強烈なファンだそうです~

 

 まわりが厳しくすると逆に嘘をつく子も出てくるかもしれません。

しかし厳しく指導することも、もちろん必要だと思いますが、誇りのようなものを持たせてあげる。そういう方向で、ほめてあげることも同時に必要になってくると思います。

 例えばあすなろスクールでは、北海道全体の模試に参加して、テストをすることがあります。そのときは中学生にはですが、先生は監視しませんよ!と子たちに宣言します。親御さんがお金を払っている意味。なぜこのテストをするのかの意義。そしてあすなろスクールというところはどんなところかの説明、そして君たちがこれまでやってきたことの意味等を説明し、『君たちはすごいんだ!』という指導をします。

狭い教室なので、ちょっと相手のテストを覗こうとしたらできるんです。しかし意識してやらない。そういう子たちです。テストの採点をすると、相手の答を見てるかどうかはわかります。幸いそういう子は今までいません。

 『先生、今回プリントあまりやってこられませんでした‥』こう言うと、あすなろでは、そうかーとなります。その時間は、その子を中心にすごくがんばってもらうということになります。そうやって、きつく指導しないのがいつも良いかどうかはわからない

です‥。会うなり、毎回そう言う子も出てくる‥う~ん どうなの となる場合も ~

次回も続きます‥

 

家で何をすれば良いの?

前回書いて、『家では、そんな教材ないわ。どうしたら良いの?』

と言われていそうなので‥

 今思いつくままに書いてみます m(__)m

 

 家庭学習は、ある意味小学生の方が中学生よりたいへん

中学は、もしかしたら予習は、塾でやってくれるかもしれない

家庭学習は、主に予習でやったことの反復ですむかもしれない。学校の課題も、予習の反復まですませていたら、余裕で終わるかもしれない

 

しかし小学生は‥

 中学は基礎的で体系的に学ぶので、ある程度やることが決まっています。

それに対して、例えば小学算数は、とにかく範囲が広い。難しい問題を出そうとしたら小学校算数の方が出しやすいくらいです。家庭学習も、え?これどうやってやるの?という課題が出たりします。

 これくらいはできないと‥ 他の子よりもできていないのではないか‥

親御さんの方が、他のお子さんと比べてしまい、悩みや不安を抱えやすいように見えます。

 基本的には

良いのです。のびのびとやらせましょう!わからない問題は、私にでも聞いてください。現場でも、メールでも。 決まった時間に勉強させてください あと‥

 ひとつお願いがあるとしたら‥

めんどくさがりやを少しでもなんとか‥(^_^;) 私もがんばります!

 算数でいうと、途中の計算式を書くとか、そのページの問題の答え合わせが終わってから次のページに行く、やっていない問題をつくらない とか(学校の宿題だと難しいでしょうか)、字をきちんと書く(うまく書かなくてもよいので丁寧に書こう)とか‥です。

 う~ん、どうしたらそういう方向になるのだろう

やはりスモールステップで、少しでも丁寧にやったことをほめてあげるとか?ですか

夕食のお皿を運ぶのが丁寧になったのでほめてあげるとか?

プラモデルを買って、図面を自分で見て順番に組み立てているのをほめてみるとか?

その子の特性を見て、暮らしのなかに落とし込んでいくことなのでしょうか?

 すみません。?? ばかりで

あ、もっと大事なことがありました。

 嘘をつかせない  ことでしょうか。これは次回以降にご説明させていただきます

算数は、どうやって教えたらよいの?

 すみません。思いつくままに。

 

高校時代に、なべつく先生のあすなろ数学という問題集で勉強した

ことを思い出して、ネットで検索をかけてみたら、たくさんありました。

なべつく先生のおかげで、数学が好きになりました‥、人生が変わった、大学に合格できた‥、伝説だ‥神だ‥ 笑 等々

 

感じたことは、やはり教え方で、本人ののびる力変わるのだなあ‥ということ

 

今日は、簡単な例で、教え方を少し書きたいと思います。

例えば、小学生に中学校の予習で、絶対値を教えようとしますよね。

私は、ある子には

『そんなの簡単だよー。マイナスやプラスをはずせばいいのだよ』となるべく短く簡潔に言います。

 

またある子には

『絶対値は、その数とゼロの間の距離だよ』

と教えます。

 

またある子には

 数直線を使って教えます

ある子には、上記の全部を一度に教えます。

 

このように人によって様々に変えます。

つまり、その子のものの考え方、理解力の程度、めんどくさいと思いがちの性格かどうか、算数数学が好きかどうか、を把握して、変えています。

それじゃ、ますます差がつくばかりじゃないか。と思われるかもしれませんが、差は決定的にはつきませんし、今の能力がないばかりに、どんどん遅れていくとはなりません。

なぜかと言うと、そういう指導をした後に、個々により与える問題が違うからです。

簡単に言うと、数学がそんなに好きじゃなく、めんどくさいことが好きじゃない、追求力が不足しがちな子は、まず一番簡単に教えます。

そうすれば、なんだ絶対値なんて簡単じゃん!と思ってくれます。そこで、解ける問題で自惚れてくれた後に、その簡単な説明では解けない問題を与えます。

(実際はその子が解ける問題の量がどれくらいあって、解けない問題がどれくらいあるかの量の配分が一番適正なプリントを探して、彼に渡します)

そうすると、え?何?? 教えてくれ!となります。そこで、絶対値の教えていないことを、また簡単に教えます。

少し考えて、わかるか、わからないか、微妙な部分でしか教えません。そうすると、子は、またまた悩むんです。う~んって。

そのときに、こちらに来るか来ないかを、(意地悪く)私はじーと観察しているんです。来なかったら、今の彼の探究心はそれくらいなんだと把握し、また作戦を練ります。例えば、この時間に、だめじゃない!と言うか、次回に持ち越すか 等々

なかには、隠す子やおしゃべりをしだしてごまかす子、ボーとして時間を使う子もいます。 さてさて、どうしたもんじゃろ‥と作戦です。

少し勢いで書きすぎました。

 

こうやって、本人を観察し出す問題によって、その子の成長を促すやり方は

前述のなべつぐ先生の講義(私は受けたことはありませんが‥)を受けた人のブログ等を読むと書かれています。私は先生の問題集からそれを学んだのかもしれません。

あー私も先生の門下生なんだなーと今さらながら気がつきました。ありがとうございます。

 

私が札幌に帰ってきて、すぐに塾を開かずに、家庭教師を2年近くやったのは、そこです。家庭教師では食べていけなかったですけど、どうしてもそのときにやっておかなくてはいけなかったことがあります。

生徒の見とりは、公立教員時代に自信がありました。唯一の売り?でした

それにプラスして‥

教材研究をすること と

考えられる、あらゆる教材をパソコンに入れて自由にその子に応じて出していくこと

簡単な問題から、難しい問題、あらゆる性格の問題をです。

もう一つあげるとしたら、教員時代にどうしても偉そうに上目線で家庭を見ていたかもしれないので、家庭教師として個々の家に入り、その個々の実態を知り、その見とりから作戦を練る意識に変えることもありました。

朝から昼過ぎまでは、教材研究と教材作成、その後は家庭教師で実践の日々でした。

 

乱筆してしまいました。

m(__)m

 

反抗期だったころ

自分史のカテゴリーです。

このカテゴリーは、自己満足な文章で人にとってはどうでも良いことも多く入っていますので、ご興味ない方は読み飛ばしてください! m(__)m

 

そのため、この文章の結論から書きますね。

『どうかお子さんをほめてあげてください。自惚れるくらいにしてあげてください』

です。(^^)

 

私ごとですが、昨晩大学生の娘にかみさんがひさしぶりに電話をしたら就職が決まったそうです。決まっても連絡してこないところ、相変わらず『親の心子知らず』です

娘や石田君のこと言えませんねー 私にも反抗期?自立しようともがく時期?がありました。自分が小さかったから苦しかったのに、状況環境のせいで苦しいと思いこんでいた自分‥

自分が、独りよがりで、ちっぽけだった、札幌の浪人時代

『あすなろ』とつけた理由 - 宮の森あすなろスクール日記

ここでも書きましたが、なんとか数学を柱として気持ちを立て直した浪人時代、

志望校は経済的に家に迷惑だと国公立大学しか志望できないと勝手に思っていました。

 

とにかく親から離れたくて、本州のその国公立大学を志望したようなものです。また二次試験が数学と小論文だけだったからかもしれません。当時通っていた大手の予備校から図書館まではすぐ。秋からは連日そこに通って必死に前述の一冊の本と格闘していました。そしてその予備校の二次試験テストで一番をとることができました。高校でも50番以内に入るのが精一杯だった私が一番なんて一瞬も想像したこともありませんでした。

これにはカラクリがあって二次試験の偏差値平均で順位をつけるので、私は数学と小論文の得意科目だけの偏差値で良かったからです。

少し自信をつけて自惚れた私は、何とか合格することができました。

 

ちっぽけなプライドしかなく、自分のことばかり考えていたあの頃‥

 

しかしですね‥今振り返るとですね‥ やっぱり一人ではなかったんです。

小さいときから、『おまえのおじいちゃんは大学の数学の先生なんだよ‥』『あまえは数学ができるんだよー』

と言い続けてくれた母がいたんです。

小学生のとき、わからないというと算数を紙に書いて教えてくれました。『わかった?』と私に聞き、『うん』と私が答えると、その紙をポイッとゴミ箱に捨て、『じゃ、もう一度やってごらん!』と言った母

そんな母がいたんです。

『おまえは、やればできるんだよ』と繰り返し言ってくれた母‥

その母も去年亡くなりました。

 

確かに、自分は苦しいと勝手に思い込んでいたあの浪人時代に、小さいときの母のはげましの声が私の耳に聞こえていたとおもいます。

 

ありがとうございます。

 

 

ちなみに

うちの娘にも小さい時から

『おまえは、天才だねー』と言い続けました。

自惚れてとんでもなくなるかなと危惧はありましたが、いいや実験だ!とのいい加減さ。許してくれ。

しかし、うちの娘は、大学進学や就職のときも相談なしだし、私たち親に感謝なんてしてないだろうなー。ま、その方がこちらも、あとから私たち親のせいにされないのでいいのですけど(笑)