お子さんとどれくらいの距離で強さでテニスをしていますか?
前記事の続きです。
学校に入ってみて、他の先生と生徒を見ていると、相互に的確にやりとりをしているようで、まず圧倒されます。
テニスに例えるとわかりやすいかも
相手からどれくらいの強さのボールが返ってくるかを予測していて
それに対して他の先生は、どこにどのようなボールを返すかを瞬時に判断し返します。そのラリーを見て圧倒されます。子はそこに満足感や意外性、場合によっては複雑な感情をもちます。本来、子は素直で正直でわがままな人です。それによってこちらも鍛えられます。
そのテニスをやったことがない私がそれを見て圧倒されるのも当たり前だと今だったら思えます。
今まで勝手気ままに、誰かから来るボールを返していただけで、相手が誰だから強く弱く、どこへ返すなどは、ほとんど考えてこなかった身です。いえ体裁のために弱くしか返してこなかったのがほとんどだったのかも。
そのうち‥
ボールが飛んでくることに恐怖感をもつこともあります。
『先生ー、出張から帰ってきたの。帰ってこなくても良かったのにー』とか‥
実際にかけられた言葉です
ここで逃げ腰になれば、あーこの先生は自分のことだけを考えていて、私たちなんかどうでもいいんだと思ってしまいます。ある意味、どれだけ自分たちのことを思ってくれているかを試している言葉だと今だったらわかります。
それですので、単純に怒ってもだめだし、ニヤっとして『どうしたの?』から聞き、最後は諭す必要があるかもしれません。
(ちなみにそれから数年後の私だったら、そういうときは怒ります。その後相手の話しを聞いたり、私が見た相手のよいところを語り、フォローして感激させて泣かすパターン?それなので、こちらが見とりを終えていない生徒から言われても怒らない怒れないです。そのときは‥ポカーン??? ニヤッとして様子見かな)
テニスと同じですから、最初からうまくなくて当然で、慣れが必要だと思います。
自分が小さいだとか思う必要もなく、お子さんとつきあうなかでわかってくることだと思います。お子さんによっても、そのときのお子さんの状態によっても、返し方は千差万別かもしれません‥
ということは、
今だったらわかりますよ。そりゃー だけどあのころは、落ち込みました‥ (T_T)
その中学校では、教師の姿勢を学ぶとして月に2、3回 全職員で読み合わせをしていました。
毛涯章平先生の本です。毛涯章平先生は長野県の先生で、本を4冊ほど出されていてその体験からくる教えは、長野県教育の基盤といっても良いかもしれません。ご本人にも一度来ていただいたことがあります。
その本のなかに、生徒との関係を端的に言った言葉があります。
『教師は親ではない。兄弟でもない。
友だちでもない。ガキ大将でもない。
だが、その すべてでありたい。』
これは‥ 当時の私に突き刺さりました。当時の私は生徒との距離を保とうとしていたからでしょうか。
その子の置かれた場所を見抜き、その子の特性を見抜き、それによってどの距離間でつきあうかをその場その場で判断し、その子と向き合え
そう言われているように私は感じます。
これは、スーパーマンです。
とても、とてもこの境地には私はいっていません。長い長い道がこれからもあります。
しかしお子さんの置かれている状況は
大家族から核家族となる傾向があり、学校も少子化となり、まわりの大人のそれぞれの役割分担も崩壊しつつあり、
いっそう毛涯先生が言われたことが、教師または大人として重要になってくるのかもしれません。
毛涯章平先生の教師十戒というものもあります。
教師=大人と読みかえても通じると。ご興味があれば検索を
m(__)m
※毛涯先生、ほんとうにありがとうございました。
先生の本を読ませていただいたときのすがすがしい気持ち。
そして先生の笑顔。 わすれません。