マネジメント能力だよ!と子に言おう
マネジメント能力とは、物事を取り仕切って運営管理する能力とあります。
例えば、中学校3年生にもなれば、進路に向けて何の教科をどれくらいやるかのマネジメント能力が必要になってくるのではないでしょうか。
逆に受験のプレッシャーがかかってくると、ただ出されたプリントをこなすだけになったり、比較的できる問題に偏ってやっていく子が出てきます。
今の段階で比較的難しい、解きにくく、解答や解説をみてもわかりにくい問題を与えたときにマネジメント能力のある子は、教えてくれ、この関連問題をほしい、もっと簡単な問題からほしい、このような難しい図形の問題をたくさんほしい、だけどいつまでにこれもやらなくちゃいけないから今はこっちの方が良いかな等々 それを迷ったり計画しようとしたり相談する傾向があります。
こちらがやらせるのとは違い、自分でマネジメントしてすると、その後の自信やのび具合は雲泥の差になるのが普通です。
そのマネジメント能力について、横道にいって登山を例に少し書いてみたいと思います。
私もあこがれて登りました北海道のトムラウシ山という山があります。
この山は、痛ましい遭難が多い山としても有名な山です。
7年前の夏にも、本州からの登山ツアー客ガイド3人含め18人中の8人の方が
低体温症で亡くなっています。
大雪山縦走の3日目に、雨のなか出発し、稜線で暴風雨にあい、雨風が体温を奪い、たくさんの方がそこで意識を失い明朝までに亡くなってしまいました。
この遭難を最後の最後に防げた分岐点は何なのかを考えていたときに、やはりマネジメント能力なのかなと‥。
自分が実際にトムラウシ山に登ってみて感じたことは、
本州の山と違って、北海道は避難小屋しかない(管理人がいない、食事の提供はない。宿泊人数が多かった場合を考えて個々でテント持参は必須である)
水は動物がいる関係で煮沸しなくてはいけない(装備が増える)
夏でも気温が低くなる場合がある(衣類が増える)
道が本州ほど整備されていない(霧など状況によっては迷うリスクがある)等々です。
遭難した方も、それはある程度理解していて、それだからこそ、ツアーに参加しリスクを軽減しようとしたと思われます。(自分の体力では、20キロ近くのザックを背負って縦走するのは危険が増えると感じた方も多かったのではと思います)
それでも登りたいと思うほどトムラウシ山は日本百名山でもありあこがれの山だったということでもあるのでしょう。
しかし遭難後の生還された方のお話を書籍等で読ませていただくと、
「あの人がこういった」「こうしてくれなかった」という言葉が続きます。人まかせの意識を感じてしまうこともあります。
この遭難にあわないための最後の分岐点は、『稜線に出る前の判断と行動』だったと、私は同じルートを歩いて感じました。
前日の雨で濡れた衣類を着ている人もいる。体調がすぐれない人もなかにはいる。寝不足な人もいる。行動食を満足にもっていない人もいる。その上防寒着(ミドルレイヤー)をザックに入れたままの人がほとんどという状況で稜線に出てしまった。
そこは暴風雨で、身体が飛ばされないように身をかがめてそろりそろりと歩くので精一杯。悲しいですが高齢者の筋力では暴風雨のなか無理して防寒着を着ることができる方はそう多くなかったという現実があります。
生還された方のなかには、なぜそのときに立ちどまって、防寒着の着用を指示しなかったのだとあとからガイドさんを責めていますが、そのガイドとて下見もしていない人(はじめてそこを歩く人)だったのです。北海道の大雪は一度稜線に出てしまうと、逃げ場所はない傾向があります。ずっと稜線が続きます。
先(ここでは地形)を予測して自分の体調や状況と照らしあわせてマネジメントする能力は登山でもそうですし、その他の場面でも要求される重要な能力だと思います。
自分の現状を分析し、管理する能力まで人まかせにしてしまったための遭難といえるかもしれません。
このような旅行会社が企画する登山ツアーの形態は、教育でいうと学校や学習塾にあたるのかもしれません。主体者たる人が、相手に任せてしまい思考停止になる傾向もあることは、お互いに自覚しておいたほうが良いのかもしれません。
自分たちが何をして、子たちに何を主体的に任せるのかを、お互いに常に調整確認しあうのは、必要なことだと思います。
と同時に、子のマネジメント能力をのばすことが、生きる力をつける教育につながると考えます。
それが子たちの主体的な楽しさや、自己肯定感にもつながると思います。