あすなろの実

学び場もいがいとおもしろかったりしますよ!どうぞ見ていってください。

子の見とり。見とりって何??

  中学教師になってしばらく経った、あるクラスでのことです。

担任をしているクラスに朝入って行きました。クラスの生徒が立ちます。子たちの顔を見ます。朝の挨拶をします。着席をします。

 その日、ある女生徒A子の顔を見て、私は動揺しました。A子は目、顔色、表情全てが赤信号でした。

『え?どうして‥』私は頭の中でつぶやきました。『家?学校?』 朝の連絡事項を告げてから、慌ただしく一時間目の準備をお互いにします。

 二時間目休み、教室を覗くとA子、そう言えばいないなーの生徒の声。すぐに保健室に行きました。A子は保健室にいました。『ちょっと来て』少し強引に学年室に呼んで話を聞きました。A子はポツリポツリと話し出しました。朝教室に入っていくと、女子が輪になって話していました。A子が『おはよう』と声をかけましたが、誰も自分に応えてくれないように感じたようです。特にリーダー格のB子の目つきが気になったようです。『私とつきあうなと言われているんだ』『こわい』と受けとったようです。

それだけ‥と思うかもしれませんが、A子がふだんから教室で無理に明るく取り繕っているのは、わかっていました。

A子はその明るさから人気がありました。そのため班長に推薦されてなったことがあります。しかしその班で掃除をしていても、話をしていて掃除がさっぱりすすまないことがよくありました。一度A子を呼び出して聞いたことがあります。

『注意したら何か言われそうだから注意できないの?』と私が言ったことに対して彼女は真っ青になって学年室を出ていきました。『しまった』

もしかすると‥。前に読んだ本を調べなおしました。彼女にとっては姉の体験が強烈に印象に残っているのだとそれで気がつきました。仮名になっているけどこれだ。彼女の姉が小学校6年生のときに、掃除をしていない男子生徒に注意をしたそうです。そうするとその男子生徒が『部落のくせに生意気だ』と返したそうです。それを聞いて彼女は泣き出してしまい何も言い返せなかったそうです。それは広まり全県的な差別事象としてとりあげられました。その本を前の学校で私は読んでいたことに、そのときようやく気がつきました。

 

彼女とは、放課後よく子ども会でつきあいました。そうすると学校での表情とは一変。暗くふてくされた表情で、担当の先生につれられて嫌々来ることが多かったのです。

彼女はお母さんに『なんでこんな家に産んでくれたの?』と言ったそうです。

『子ども会に連れてこられること自体が差別だ』と思っているのでしょう。

 その後、A子とつきあって、いろいろな事がありました。はっきり言うとA子に部落差別や同和教育を教えてもらったようなものです。そしてその同和教育は、私が今、前向きに生きるための一番の力になっています。

 最後には、このA子とB子の関係、部落差別のことは、同和教育の授業になりました。後ろに全県の先生たちがいるなかでの研究授業になってしまいました。最初は当然嫌だと言ったA子。私も了承しました。

しかしそれ(嫌だ)はA子の私に対する評価と受け取りました。先生の学級経営じゃ駄目。私が目立った後に周りになんて言われるかわからない。逆にもっと差別されるかもしれない。だから嫌だ。とA子は私を評価しているということです。

しかし悩んで最後にA子は決断をしました。全力でバックアップをしました。

その授業の最後の発言、私は最後の見とりをしました。B子です。彼女を指名し発言させました。その後の研究会のときに問題になりました。彼女のプリントには、ほとんどA子に関しての記述はありませんでした。なぜ私が指名したのか?

しかしB子は、指名されて自分が書いた文章を読みあげることはしないだろうと確信がありました。彼女もすばらしい感性の持ち主であることを私は知っていたからです。

彼女は泣きながら『大丈夫だよ』とA子に言いました。その言葉で授業が終わりました。

 

 話は変わりますがその三年後、自分のクラスのいじめに関する研究授業で悩む先生がいました。当時私は人権教育の専門職として教育委員会から派遣されてその学校にいる立場になっていました。(クラス担任なし、授業なしの立場)

研究授業の一週間前になって、はたしてこのまま授業をやっても良いものかと悩んでいました。そして私に相談しに来ました。相手の方が教師歴は長い先輩です。しかしその先生の目を見て、見とって私は決断をしました。

先生の見栄よりも子の方が大事だ。それは私も研究授業で悩んだからよくわかります。

『誰がこんな授業を計画したの?』『このままややったら、いじめの首謀者とされる子たちはそのときは何も言わないけれど、その後たいへんなことになる可能性強いよ』『ばかじゃないの?』とまで。

そう言ったもう一つの理由は、私はそのいじめられているとされた子を知っていました。職員室の印刷機のところで仕事をしていた彼女を観察したり話したりしていて、見とっていました。

その中で、このまま進めるとちょっとまずいなあという感覚もありました。

結局その先生は、当初の計画とは違う授業を研究授業でやりました。授業後の研究会は、なぜ変えた?と紛糾。その授業先生は、私にこう言われたと述べ、また前々日にある生徒に電話をしたら、その授業をどうやってボイコットするかを話し合っていたと。しかし一緒に授業案を立ててきたその学年の先生たちは収まりがつきません。その後も、私の研究室の横の、職員室端のお茶室で研究授業の慰労会としてお酒を飲みながら私の悪口を延々と‥。横で仕事をしている私に聞こえるんですけど‥。笑

その後、悪酔いをした先輩先生たちは、

『○○(私のこと)はクラスに戻すべきだ。あいつは下にいた方がいい。』と言い出しました。

それを聞いてとてもありがたい気持ちになりました。

私を見とって真意をわかってくれたなんて、やはり先生たちっていいですよね。

私が教師をやめると報告したときに、この先生たちには怒られました。せっかく生意気な私を許してやったのに、なんだ!という気持ちなのでしょう。すみません。

授業一つするのにも、見とりが大事ですと書きたかったのですが、少し横道にそれてしまいました。

m(__)m          

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