あすなろの実

学び場もいがいとおもしろかったりしますよ!どうぞ見ていってください。

子の見とり。見とりって何??

  中学教師になってしばらく経った、あるクラスでのことです。

担任をしているクラスに朝入って行きました。クラスの生徒が立ちます。子たちの顔を見ます。朝の挨拶をします。着席をします。

 その日、ある女生徒A子の顔を見て、私は動揺しました。A子は目、顔色、表情全てが赤信号でした。

『え?どうして‥』私は頭の中でつぶやきました。『家?学校?』 朝の連絡事項を告げてから、慌ただしく一時間目の準備をお互いにします。

 二時間目休み、教室を覗くとA子、そう言えばいないなーの生徒の声。すぐに保健室に行きました。A子は保健室にいました。『ちょっと来て』少し強引に学年室に呼んで話を聞きました。A子はポツリポツリと話し出しました。朝教室に入っていくと、女子が輪になって話していました。A子が『おはよう』と声をかけましたが、誰も自分に応えてくれないように感じたようです。特にリーダー格のB子の目つきが気になったようです。『私とつきあうなと言われているんだ』『こわい』と受けとったようです。

それだけ‥と思うかもしれませんが、A子がふだんから教室で無理に明るく取り繕っているのは、わかっていました。

A子はその明るさから人気がありました。そのため班長に推薦されてなったことがあります。しかしその班で掃除をしていても、話をしていて掃除がさっぱりすすまないことがよくありました。一度A子を呼び出して聞いたことがあります。

『注意したら何か言われそうだから注意できないの?』と私が言ったことに対して彼女は真っ青になって学年室を出ていきました。『しまった』

もしかすると‥。前に読んだ本を調べなおしました。彼女にとっては姉の体験が強烈に印象に残っているのだとそれで気がつきました。仮名になっているけどこれだ。彼女の姉が小学校6年生のときに、掃除をしていない男子生徒に注意をしたそうです。そうするとその男子生徒が『部落のくせに生意気だ』と返したそうです。それを聞いて彼女は泣き出してしまい何も言い返せなかったそうです。それは広まり全県的な差別事象としてとりあげられました。その本を前の学校で私は読んでいたことに、そのときようやく気がつきました。

 

彼女とは、放課後よく子ども会でつきあいました。そうすると学校での表情とは一変。暗くふてくされた表情で、担当の先生につれられて嫌々来ることが多かったのです。

彼女はお母さんに『なんでこんな家に産んでくれたの?』と言ったそうです。

『子ども会に連れてこられること自体が差別だ』と思っているのでしょう。

 その後、A子とつきあって、いろいろな事がありました。はっきり言うとA子に部落差別や同和教育を教えてもらったようなものです。そしてその同和教育は、私が今、前向きに生きるための一番の力になっています。

 最後には、このA子とB子の関係、部落差別のことは、同和教育の授業になりました。後ろに全県の先生たちがいるなかでの研究授業になってしまいました。最初は当然嫌だと言ったA子。私も了承しました。

しかしそれ(嫌だ)はA子の私に対する評価と受け取りました。先生の学級経営じゃ駄目。私が目立った後に周りになんて言われるかわからない。逆にもっと差別されるかもしれない。だから嫌だ。とA子は私を評価しているということです。

しかし悩んで最後にA子は決断をしました。全力でバックアップをしました。

その授業の最後の発言、私は最後の見とりをしました。B子です。彼女を指名し発言させました。その後の研究会のときに問題になりました。彼女のプリントには、ほとんどA子に関しての記述はありませんでした。なぜ私が指名したのか?

しかしB子は、指名されて自分が書いた文章を読みあげることはしないだろうと確信がありました。彼女もすばらしい感性の持ち主であることを私は知っていたからです。

彼女は泣きながら『大丈夫だよ』とA子に言いました。その言葉で授業が終わりました。

 

 話は変わりますがその三年後、自分のクラスのいじめに関する研究授業で悩む先生がいました。当時私は人権教育の専門職として教育委員会から派遣されてその学校にいる立場になっていました。(クラス担任なし、授業なしの立場)

研究授業の一週間前になって、はたしてこのまま授業をやっても良いものかと悩んでいました。そして私に相談しに来ました。相手の方が教師歴は長い先輩です。しかしその先生の目を見て、見とって私は決断をしました。

先生の見栄よりも子の方が大事だ。それは私も研究授業で悩んだからよくわかります。

『誰がこんな授業を計画したの?』『このままややったら、いじめの首謀者とされる子たちはそのときは何も言わないけれど、その後たいへんなことになる可能性強いよ』『ばかじゃないの?』とまで。

そう言ったもう一つの理由は、私はそのいじめられているとされた子を知っていました。職員室の印刷機のところで仕事をしていた彼女を観察したり話したりしていて、見とっていました。

その中で、このまま進めるとちょっとまずいなあという感覚もありました。

結局その先生は、当初の計画とは違う授業を研究授業でやりました。授業後の研究会は、なぜ変えた?と紛糾。その授業先生は、私にこう言われたと述べ、また前々日にある生徒に電話をしたら、その授業をどうやってボイコットするかを話し合っていたと。しかし一緒に授業案を立ててきたその学年の先生たちは収まりがつきません。その後も、私の研究室の横の、職員室端のお茶室で研究授業の慰労会としてお酒を飲みながら私の悪口を延々と‥。横で仕事をしている私に聞こえるんですけど‥。笑

その後、悪酔いをした先輩先生たちは、

『○○(私のこと)はクラスに戻すべきだ。あいつは下にいた方がいい。』と言い出しました。

それを聞いてとてもありがたい気持ちになりました。

私を見とって真意をわかってくれたなんて、やはり先生たちっていいですよね。

私が教師をやめると報告したときに、この先生たちには怒られました。せっかく生意気な私を許してやったのに、なんだ!という気持ちなのでしょう。すみません。

授業一つするのにも、見とりが大事ですと書きたかったのですが、少し横道にそれてしまいました。

m(__)m          

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弱みは強み

 私が小学校低学年のときに、母が私の担任の先生に『息子が学校の帰り道にいじめられて困っている』と相談をしたようです。

その後にその担任の先生が私に

『○○君。あまりお母さんに心配をかけるなよ!』という一言で終わりました。

なぜか、私は覚えているんです。なかなか変な子だったのでしょう。

 

 私は小さいときから言語障害の傾向がありました。国語の教科書を読むときにつまりながら読むと周りがどうしたの?とざわつく。その雰囲気でよけいに焦ってしまって、赤面症が出てきて、そこで途絶えて読めなくなる。それがトラウマのようになって、自分で言語障害だと思いこむようになりました。

父が、毎年春に学校に出す家庭調査票に、この子は言葉がつまる癖がありますと書くのですが、それについて担任の先生から聞かれたことも一度もありません。

 それが普通で何の疑問も持っていなかった私が、長野県で学級経営というものに触れたことは衝撃でした。

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 例えば長野県は学級替えをせず、3年間同じクラスで過ごすのが普通です。そのなかで2年目や3年目になって、いじめやクラスの人間関係で問題等が起こると、担任がどんな学級経営をしてきたのかがまず見直されます。

 個々の子が位置づいて安心をして学習ができる集団つくり。個々の子が授業のなかで響き合って力をのばすことができる集団つくり。お互いに認め励まし注意しあえる集団つくり。そんな学級経営です。

 

 そのなかで最も重要だと思われるのは、子の見とり というものでした。それぞれどんな傾向があるのか。性格や価値観。それぞれの事に対するやる気。この子の行動にはこういう傾向があって、その行動の背景はこういうことではないだろうか‥等々。

 こういう事は、学年会や職員会で、毎回のように情報交換をしたり話し合われることでした。生徒を見とることにより、そこから導きだされる教育の手だてを一つでも多く実践していこうというものでした。

 私はこの面についてだけは、最初から他の先生に批判された経験がありませんでした。なるほど‥という雰囲気で受け入れてもらえました。

 

それは、上記のような小さいときからの自分の体験があったからだと思います。

小さいときから弱かったので感受性がするどくなりました。まわりから馬鹿にされることもあったので人をよく見るようになりました。ストレスをかけられる声かけがあったので、その人がなぜそういうことを言うのかを様々解釈しようとする機会が多くありました。   

弱みは、時を経て強みになりました。

 

あのときにあの子は、あんな表情をした。なぜだろう?もしかしたらこんな思いがあったのではないだろうか。それを心に留めておき、またその子と向き合うの繰り返しをします。

 

例えば写生大会のときに誰と誰が一緒にグループで描いているのか等は、目でわかりやすいのですが、本当はそれほど役に立ちません。

何かを書かせても、その場かぎりではなく継続して書かせるなかでその子の特性を探ることでないと、なかなか一つの文章だけを信じると間違えます。

しかし、その日はじめて会ったときにどんな様子か、どんな目の動きをするかを見れば、およそその子が過ごした今朝までの気持ち、調子等々はわかります。

様々な事に取り組むときの、

目の動き。声の調子。外の変化に対して表情がどう変わったか。

これは、なかなか正直で、隠せないことです。

 

気をつけなくてはならないことは、あまり読みとれてしまうと、こちらの感情がそれに影響されてしまって行動がぶれる危険性がある点です。

そうなると子に大人が振り回されることになりかねません。

読みとってもその場では知らないふりをすることが求められます。

フランスの児童書に、子が親を怒らせようとしかけてくることがある、そういう場合無視をせよと書かれているそうです。相手にしない。時間を置き、またつきあう。と

 

それ以上に危ないことは

あまりにも読みとれてしまうと、自分が傷つきます。

だったら読みとれないほうが良いと思うほどです。これはどうしようもなく、耐えるしかないようです。

 

もう一つありました。

読みとったことを、その子のために使うのであって、自分の都合のために使わないことでしょうか。

新任のときに、二人担任の相棒であった先輩先生が決まって私に仕事をふりたいときにこういうのです。

『○○先生。今忙しいよね。これどうするかなあ』と。そういうと必ず私が『いいえ。やります。』というのを見越しているのです。私の性格もすべて読みとって。笑

 

長くなってしまったので、子の見とりで私が実際に体験したことは次回に書きたいと思います。

一番肝心な授業研究については、さらに後ほど書きたいと思います。

m(__)m

 

 

学校の幽霊の実態

 昨晩も、あすなろで子たちが、こちらが『時間だよー』と言っても集中していて終わらない。『大丈夫かい?』と言ったら『はい』と応えてくれる。

ほんといい子たち、のびる子たちだなーと感動する日々です。感激感謝しています。 

直接はそこまで言わないですけど‥。

 

 さて初任校の職員室で、幽霊は何をしていたか? ですが‥

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今では時効ですから、言いますけど‥。

 

他の先生の机の中を見まくりました。

(一応机の中は私物を置いてはいけないことになっていまして公の場所とされています。例えば自分が急病になったときは、電話で自習の指示ができるように机の中に資料を準備しておけと言われています)

どこに何を置いてあるのかを見て、その先生がどんな工夫をしているかを探りました。

とにかく仕事を効率化したかったのです。どこに何を置けば良いのか。細かく吟味しました。

 

ワープロもブラインドタッチの本を買ってきて、マスターしました。

 

校務分掌も、昨年度までの代々の文書を調べて、年度によってどう変化しているかを調べつくしました。そこに自分なりのものを加味して今年度の文書を作成はしておきます。水曜日の職員会の前日には他の先生は、教頭先生の後ろのダンボールの中にそれぞれの文書を印刷して入れておくのですが、火曜日の晩にまたそれをこっそり見て勉強をしました。それを参考にして、また自分の文書を作り直しました。

 

 それと自分は北海道出身で同和教育(人権教育)というものは知りません。それをはじめて校長先生とお会いしたときに言ったら、私はその係になりたいと勘違いをされたみたいでその学校の同和教育の責任者になってしまいました。(驚き)

同和教育は全くの素人、職員室や他の資料室にある本や資料を読みまくりました。そのなかに書かれていた家族のお子さんの担任に次の学校でなるとは、そのときは夢にも思いませんでしたが‥

 

突然ですが、仕事は父からの影響が強いです。

社会は仕事は厳しいものだ。

仕事で同じ間違いを二度したら相手にされない。

仕事で人から頼まれたら、それがどんなに小さいことでも嫌と言わずにやれ。

また父の姿を見て、仕事の事を家庭で言わないこと

私が小さいときから、こういうことを父に言われ続け、見せ続けられました。

 

 正直今振り返ると、私は父親の影響が強すぎて、守りすぎました。

(今の時代だったら、病気になってしまう確率も高くなるでしょう)

 

自分は男の子がいませんが、いたらあまり

『社会は~こういうものだ!』とは一言も言わないでおこうと思います。

他人には言われても良いのですが、親だと影響が強すぎるような気がします。

男の子は根が真面目ですから 笑

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お子さんとどれくらいの距離で強さでテニスをしていますか?

 前記事の続きです。

学校に入ってみて、他の先生と生徒を見ていると、相互に的確にやりとりをしているようで、まず圧倒されます。

 

 テニスに例えるとわかりやすいかも

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 相手からどれくらいの強さのボールが返ってくるかを予測していて

それに対して他の先生は、どこにどのようなボールを返すかを瞬時に判断し返します。そのラリーを見て圧倒されます。子はそこに満足感や意外性、場合によっては複雑な感情をもちます。本来、子は素直で正直でわがままな人です。それによってこちらも鍛えられます。

 そのテニスをやったことがない私がそれを見て圧倒されるのも当たり前だと今だったら思えます。

今まで勝手気ままに、誰かから来るボールを返していただけで、相手が誰だから強く弱く、どこへ返すなどは、ほとんど考えてこなかった身です。いえ体裁のために弱くしか返してこなかったのがほとんどだったのかも。   

 そのうち‥

ボールが飛んでくることに恐怖感をもつこともあります。

『先生ー、出張から帰ってきたの。帰ってこなくても良かったのにー』とか‥

実際にかけられた言葉です

ここで逃げ腰になれば、あーこの先生は自分のことだけを考えていて、私たちなんかどうでもいいんだと思ってしまいます。ある意味、どれだけ自分たちのことを思ってくれているかを試している言葉だと今だったらわかります。

それですので、単純に怒ってもだめだし、ニヤっとして『どうしたの?』から聞き、最後は諭す必要があるかもしれません。

(ちなみにそれから数年後の私だったら、そういうときは怒ります。その後相手の話しを聞いたり、私が見た相手のよいところを語り、フォローして感激させて泣かすパターン?それなので、こちらが見とりを終えていない生徒から言われても怒らない怒れないです。そのときは‥ポカーン??? ニヤッとして様子見かな)    

 テニスと同じですから、最初からうまくなくて当然で、慣れが必要だと思います。

自分が小さいだとか思う必要もなく、お子さんとつきあうなかでわかってくることだと思います。お子さんによっても、そのときのお子さんの状態によっても、返し方は千差万別かもしれません‥

 ということは、

今だったらわかりますよ。そりゃー だけどあのころは、落ち込みました‥ (T_T)

 

 その中学校では、教師の姿勢を学ぶとして月に2、3回 全職員で読み合わせをしていました。

毛涯章平先生の本です。毛涯章平先生は長野県の先生で、本を4冊ほど出されていてその体験からくる教えは、長野県教育の基盤といっても良いかもしれません。ご本人にも一度来ていただいたことがあります。

その本のなかに、生徒との関係を端的に言った言葉があります。

『教師は親ではない。兄弟でもない。

 友だちでもない。ガキ大将でもない。

 だが、その すべてでありたい。』

これは‥ 当時の私に突き刺さりました。当時の私は生徒との距離を保とうとしていたからでしょうか。

その子の置かれた場所を見抜き、その子の特性を見抜き、それによってどの距離間でつきあうかをその場その場で判断し、その子と向き合え 

そう言われているように私は感じます。

これは、スーパーマンです。

とても、とてもこの境地には私はいっていません。長い長い道がこれからもあります。

 

しかしお子さんの置かれている状況は

大家族から核家族となる傾向があり、学校も少子化となり、まわりの大人のそれぞれの役割分担も崩壊しつつあり、

いっそう毛涯先生が言われたことが、教師または大人として重要になってくるのかもしれません。

毛涯章平先生の教師十戒というものもあります。

教師=大人と読みかえても通じると。ご興味があれば検索を

m(__)m

 

※毛涯先生、ほんとうにありがとうございました。

先生の本を読ませていただいたときのすがすがしい気持ち。

そして先生の笑顔。 わすれません。

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幽霊が出ると有名な学校

 これから少しの回、昔話にお付き合いください。

 

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 私がはじめて学校の先生になった、その山村の中学校は

幽霊が出ると有名でした‥

 

音楽の女先生:『昨晩、私ね!見ちゃったの』

私     :『え?何を?』

音楽の女先生:『夜中の3時ごろに、ふっと起きてね

        私の教員住宅から、学校を見たらね』

私     :『見たら?』

音楽の先生 :『職員室のあかりがついてるの‥』

私     :『うそー!』

音楽の先生 :『ほんとよー。私こわくなってそれから

        布団の中で、なかなか寝られなかったんだよ』

私     :『そんなの見間違えだって。そんな時間に人がいるわけない

        んじゃないかな』     

音楽の先生 :『だからー幽霊なんだって!』

 

この話のおちは‥

 

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私だったんです。ごめんなさい

この村は、

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ほんとよいところ

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 歌舞伎で有名な村‥ 映画にもなりましたね!

 

例えば、赴任当初の一日‥は

職員室に残っていると、グランドから『先生ーナイターソフトの審判やってくれ。』

の声が‥。ありがとーと親睦会。その翌朝5時から早起き野球の小中の先生チームで参戦。

昨日までの大学生が巨大な渦に巻き込まれ、何もできないまま右往左往している状態でした。

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私は

何もできないところで先生というものになりました。

簡単に言うと、4重苦でした 笑

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●まず仕事ができない‥

ワープロさえ触ったことがない。田舎の学校は、のんびりしている?

とんでもない。先生の数が少ないので一人が負う校務分掌はどっさり。

あー職員会のプリントが‥

●人に気をつかう性格が‥災いして‥

小さい学校だから、馴れ合い排除が合言葉。職員会で発言がないことを責められる。生徒を背負っているのに、その性格だとやっていけないよとはっきり言われる。(T_T)

先生は人を見ぬくプロです。そのプロは同僚に対してはきびしー。

●先生というものに対して 固定観念強く、監督意識が強い自分

自分が触れ合ってきた先生とは意識が全く違う。長野県は教育県と言われ、すごーくプライドが高い。そこの学校は先生の姿勢に対して根本的に学び合っていこうという雰囲気がありました。

先生は何かを監督するもの‥そういう欠片でもあればそれは全否定されました。

長野県教育の特徴はここにあると思います。これは次回に。

●授業の実力がない

これが先生の基礎ですよね。その学校は授業研究ではどこの学校にも負けないというほどレベルが高く厳しいと先輩の先生はよく言ってました。

当時私のクラスの子(中2)が私に言ったこと(彼は村の釣り名人‥)

『先生ー。やっぱり社会楽しくないわ!誰がやっても同じだな。まー先生も、一年目だからしょうがないか。俺たちにはいいからさ。俺も一年目はぜんぜん釣れなくてたいへんだったしな‥』

ただただ、すみません‥ 

 

学校への車通勤の途中

あー ここでハンドルを左に切れば、街だなあ‥。

ほんとにそう思ったことも‥

 

しかし この2年間があったので、その後の25年くらいは楽々でした。これよりもたいへんなことは、たくさんあったけど、どこか楽しめました。

感謝しています。

この2年間を今ブログに少しのせて、恩返しをさせていただきたいと思います。

(^o^)

バトミントン女子ダブルス タカマツペアは、なぜ大逆転で金メダルをとれたのか?

 先日のリオオリンピックで、注目していたのは高橋松友のバトミントンダブルスでした。

その決勝戦、夜更かしをして見ていました。

 最終セット、点数は16対19。相手はあと2点とれば金メダル。追い込まれました。

ここからなぜ大逆転ができたのか。

この試合を見ていて私が勝手に思ったことを書いてみたいと思います。

前記事にも関連して、効果があがる学習方法にも関わってくると思います

 

場数を踏んでいる。成長の過程が見えている。自分たちの強みがわかっている。

以前、NHKの特集などでこのペアを知りました。それから自分でも調べてみたりして興味を持ちました。

それによると、10年前の高校生のときからペアを組み、一歩一歩成長していったそうです。決勝戦であたったこのデンマークのペアにも始めて対戦したときに、惨敗しどう勝っていけばよいのか全く見えなかったそうです。

そこで世界で勝つことを目標にすえる。

そこで勝つためにどうしたらよいか。そこから逆算する。自分たちの強みを、絞り出しその練習をする。身長が高く身体能力のある対戦相手に対して、その対策の練習をする。その結果の金メダルだったようです。

志望校を決める。

こういうふうな結果を出すためには、どういう練習(学習)がよいのか。

なぜその練習(学習)を行っているのか。

プレッシャーがかかってくると、ただ穴を埋める作業に陥りがちになります。

 

先手先手をとる癖がついている。

土壇場に追い込まれたとき、最初に目だったのは松友選手の先手先手で相手を読んで積極的に前に出ていくプレーでした。

この状況でよくそれができるなあと感嘆しました。

ふだんから先を読むことが、頭抜けている選手だそうです。

おもしろい話があって‥高校時代にバドミントンの監督にキャプテンだった高橋選手が特に前面に立って怒られていたそうです。そういう怒られる場面になると、ほとんど決まって松友選手がいなかった‥そうです。水を飲みに行ってたり。たぶんそろそろ危ないなあと予測して逃げていた?          

金メダルをとった後のスタジオ出演のときも‥

ある司会者(お笑いの人)が、いじりのつもりで松友選手が試合最後で諦めていたと高橋選手にふろうとしたとき、『ここで残念なお知らせがあります‥』と司会者が高橋選手に言った場面、まわりはなんの事かときょとんとしている表情、松友選手だけが先読みをして口もとが笑っています‥

この時点で読んでいるんですねぇ‥

あすなろで時刻になったら外に出て迎えを待っててね。雨が振りそうだったら傘を自分から持ってきてね‥あすなろは曇りでも玄関にズラッと傘が並びますよね。そんな小さなことが、すばらしく力になっていくと思います。

 

目の前のやることに全力投球をしている

16対19になったとき。松友選手は開き直った。高橋選手は、自分たちも前日の日本選手のように逆転できるんじゃないかと思った。とあとから言っています。

そう思ったあとの集中力は、完全に相手ペアを上回っているように見えました。自分たちの強みを発揮するプレーをして、一気に相手を弱気にさせたのが、傍目で見てもわかりました。

これは、スポーツ競技でいうとゾーンに入るという現象だそうです。極限の集中力で、自分の力を発揮する。そういうときは、すごく楽しいそうです。あと疲れない。プラス思考。結果を考えない。という状態になるそうです。

これできなかったらどうしよう。もし落ちたらどうしよう。ではなく集中!

あすなろでも、あと5分だよ。ラストスパートと毎回のように言いますよね。そのときに一気に集中する癖をつける子たちです。この5分の使い方が、その後ののび具合に密接に関係しているのですよ。過去の子たちを見るとそれがよくわかります。

 

ニヤニヤする

16対19になった直後、松友選手が羽をとりに行ったとき。確かに笑っているんです。大ピンチになったときです。う~ん、笑っているんですよね。

『う~ん。そうきたかー。‥楽しい。』→『あと、少しでも多くよいプレーをしよう』と思ったと、あとから松友選手は言っています。

前記事でも書いた、ニヤニヤするっていうのは、けっこう武器になるかもよ。

 

他にも、試合後に相手に感謝する言葉を言ったりしています。それが現場で心の動揺を防ぎ、最高のプレーにつながったと思います。謙虚な心は、相手のためでなく自分のためにあるのだなと感じられる場面でした。

(^o^)

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中学3年生の教室で

 先日、3年生に言ったことです

『気持ちで幸せの量も変わる』

『気持ちを変えれば事実も変わる』

 

3年生で体調をくずす人が多いんだ。例えば各テスト前とかね。

だけど、あすなろはね。3年生で体調をくずす人はほとんどいない。

それはね。下の学年のときから、小学生のときから、プレッシャーにどう対応するかを学ばせてきたから。厳しいことを言ってきたよね。

また、上のように姿勢や外の形を正し、気持ちを変えると、事実に捉え方も変わってくるんだ。

例えば、たった一回の模試やテストが悪かったとしても、それが自分の課題を見つけるチャンスなんだという捉えをすれば、幸せだなと感じることができるし、そう感じれば、次回に対するがんばりの量も質も変わってくるので、最後のテストの点数も変わってくるんだ。        

どれだけ多くの子が、途中で気持ちが折れて実力が発揮できないか。そういう子も多いんだ。

あすなろは、裁量テスト(難しい問題が2割ほど増えたテスト)が導入された8年前から、落ちた子がいない。(内申が足りていなかった子数人は別だよ)

それは、本人が気持ちで負けず、結果を出してきたからなんだ。

ピンチだな。落ちこむなあと思ったらニヤニヤしよう!作戦を練る時間だ。

少々の結果の浮き沈みで気持ちが上下しない。

もし上下して、勉強量少なくなったり質が悪くなったりするならば、言いにくいけど志望変更をすべきだと思う。何も志望校が変わったとしても、そこで自分の気持ちを折れなければ、私はいいと思う。高校でいかに自ら学んでいくか、そういう姿勢はより求められていくんだ。あすなろは君たちが高校でどう主体的に学べるかも予想して指導しているんだよ。

きみたちは、あすなろ生だから必ずできる。それだけのことをやってきた人たちだよ。

 

姿勢を正して、気持ちを整え、結果につなげる。

これが大事だと思うんだ。