あすなろの実

学び場もいがいとおもしろかったりしますよ!どうぞ見ていってください。

学力をあげたい。どうしたら良いか 3

トムソーヤのペンキ塗り
 トムソーヤの冒険の中に、ペンキ塗りのお話しがあります。

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 いたずらの罰として、トムは土曜日の朝なのにペンキ塗りをさせられるはめになりました。そんなトムをからかいに友だちが何人かやってきました。トムはとっさに素敵なアイデアを思いつきました。ペンキ塗りをさも楽しそうにやり始めたのです。それを見ていた友だちは、自分もペンキ塗りをしたくなります。「ぼくにもちょっと塗らせてよ」と頼む友だちに、「だめだめ、こんな楽しいことは任せられないね」とトムはそっけなく断ります。どうしてもペンキ塗りがしたくなった友だちは、リンゴや凧といったわいろをトムに渡して、嬉々としてペンキ塗りをします。トムはまんまと宝物をせしめて、おまけにみんながペンキを塗るのを寝そべって眺めていました。

 行動をどのように価値づけるかといったことは、大切なことです。

 

例えば勉強を嫌なものだと思いこむと、勉強を避けるようになってしまうかもしれません。また自分を自惚れるくらいにして、この勉強をするとこんなふうに人生が変わると自分を思いこませることってあるかもしれません。

 

私が教員になりたいとはっきりと意識をしだしたのは高校一年生のときでした。

それから今自分がやっている勉強に対する意識が少し変わったのを覚えています。

例えば、英語の教科書の書き取りを50回しなさいという苦行とも言える宿題が出たことがあります。確かテストの点数が50点以下の生徒だったと思います。恥ずかしながら私もそのなかの一人で書きました。驚いたのは、その後の再テストで、その50回書き直しをした人のなかでグループがはっきと二つに別れたことです。70点以上になったグループと、あまり変わらなかったグループに。

私はその苦行が悔しくて、どうせならわかるようになってやると思って練習をしていたことは覚えています。   

また、当時漢字の練習をしていたときに、『こんな漢字が書けなかったら、教師になったときに恥ずかしいから』と自分に言い聞かせて練習をしていたようです。当時ある先生からそれを褒められたので、今でもそれを覚えています。少し幼稚ですが、高校生なりに行動の位置づけをしていたのかもしれません。

 

ちなみに

漢字の方は‥

恥ずかしながら、教員になって始めて書いた書類の漢字が書けなくてオロオロしたこと(当時は携帯電話もスマホもなく‥校長室で一人きりでその書類を書いていたので、とりつくろう手だてがなかった 笑)

たくさんの他校の先生が見ている私の研究授業で、私の漢字の書き順がおかしいと話題になってしまった(その後、当時の国語の先生でもあった校長先生が、職員会で漢字の書き順を書いた紙を配布して全先生に漢字の授業をされました。当然私は先生たちから睨まれした 笑)          

等々、いっこうに上達せずに恥をかくことになったのをみると

私が継続して楽しく、漢字の練習を取り組んだかは、疑問ですが‥(^_^;)      

 

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子に言うことを聞かせたい どうしたら良いか 3

 この話は、私が生意気盛りな時期の先生だったときです。

中学3年生の10月頃は、文化祭もおわり部活動もおわり、勉強一色になりがちな時期です。その頃から、集中して授業に取り組む子がいる一方で遅刻、欠席する子、体調を崩す子も出てくる傾向があります。

当時その学校の中3生は4クラス。女性の学年主任先生は、一人で一生懸命に規律を正そうと奮起していました。(今振り返ると申し訳ないです)

あとの3人の担任は、私も含めて20代・30代の若い先生でしたので、少し意識が違ったのかもしれません。(個々の子への指導が主でいいのではないかと思っていた‥)

その学年主任先生は、何回も体育館で学年集会を開き、全員が集まって整列するのに5分遅れたことに関して、生徒に指導するのでした。しかしその後も生徒がピシッと行動したり、時間どおりに集合することはありませんでした。

そういうことが3回ほど続いたときに、その先生は匙を投げたのでしょうか私に学年集会をしきりなさい。と言われました。私は生徒会本部担当でしたので、言ったのかもしれません。

結論からいうと、はじまる5分前に4クラス全員が体育館に集合しました。

私は生徒会長と副会長に『やるか?』と言っただけです。

それを受けて『じゃぁ、やってやるよ』とその子たちが、各学級長を集めて一緒にどうやってやるかを打ち合わせをしたようです。彼らは綿密でした。各クラスの班長や生徒会の委員長も巻きこんで、全体にいつ呼びかけるか、廊下に何分ごろに並ばせるか、クラスに残っている生徒には誰がフォローするか、等々の段取りを練っていきました。

そのとき確か、学年集会の中身も一つ彼らで提案企画したものがあったと思います。

結果実現できました。

 この例でいうと、なぜ最初に言うことを聞かなかったのか 

予想ですが、

『あまりにも低い目標でばからしいと思っていた』

全校生徒を巻きこんで文化祭をやりとげた子たちからすると、集合時間を守ることは簡単すぎて意欲がわかなかった? 

学年集会の内容にも『中身が薄く、必要性を感じなかった』とも思えます。

対して文化祭は『本当に達成できるかわからないほどのことで成就感があった』

子たちの今の実力を把握したり、子たちの興味関心がどこにあるかを読みとって、なるべく適切な目標を設定させることも必要だと思います。

 あとすこし言いにくいのですが、この主任先生は文化祭をあまり手伝わなかったんです。また子たちが立てた閉会式の中身に対して、直前になって自分のクラスで批判をしました。その一月以上前に、職員会でその企画が通っていたのですが、たぶんそのときは本気で取り組んでいなかったのでしょう。子たちは、そういう点を見透かします。

この先生に時刻厳守、規律重視と言われれば言われるほど、自分たちのことを信頼していないぞ!と言われているように感じたのかもしれません。

(また中には)自分のこと棚に上げやがって、よく言うわと思っていた子も‥(^_^;)

 

私にも普通に日々反省点はあると思います。つらいですが‥

言うことを聞かなかったら『まず信頼されているかを自分に問う』

必要ならば『素直に謝る』

『今のその子にとって適切な支持や目標であるかを吟味する』『成就感のあるものに』

そして『自分の願いを相手に伝える』やることの意義を伝えます。

『君を信頼しているよ。君だったらできる。』という意思表示をする。

相手に簡潔に言えたら言えるほど上の意思が伝わることが多いです。

任した!と一言で終われれば、最高ですが‥

『そこに、自分らしさ、少しの遊び心をつけたしても良いよ』と認める。

この子たちは、下の記事の生徒会文化祭の部分でした。

子の発案することは、できるだけかなえよう! 成就感から自信へ - あすなろの実

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学力をあげたい。どうしたら良いか 2

 ズバリ言います。学力をあげるためには、答を教えないことです。

本来お子さんは、『考えることが好き』なんです。幼稚園で、先生がお子さんを集合させるときに、『集まって~!』と言っても、なかなか来ない子は必ずいます。

しかし『これは何かな?』と先生がクイズを出すと、寄ってくる子がいて、しだいにどんどんと集まってきます。そして全員が集合します。

※小学校低学年や中学年で、親御さんがお子さんと勉強するときには教えないことが、難しいです。それよりも易しい問題がつくれるなら段階をおって、ヒント教えるを繰り返す。それも難しい場合は、教えることは別の紙に書く(大人は別の紙に書く)、またはその関連問題を大人がつくってそれを一緒に解く等をして、本番のその問題はその子にはじめから最後までやらせるようにすると良いと思います。

 

 ところが小学校高学年や中学生になると、なかにはめんどくさいと考えることを嫌う現象が出てくることが多いです。

 私も昔、通知表が5段階評価の1から3の子ばかりの学習塾のようなところ(子ども会)で、何人かの先生で教えていたことがあります。

 私をA先生、もう一人の先生をB先生とします。あるC子がB先生に『A先生と勉強するのが嫌だからB先生がいい!』と言ったそうです。B先生も性格悪く(笑)、ニヤッとして、どうして?と聞いたそうです。そうしたらC子は、『だってA先生はこたえを教えてくれないもん!』と言ったと‥ B先生(私の後輩)は、憤慨して私に伝えました‥笑 やり方やヒントをあたえる私のやり方に対しての不満を彼女は言ったわけです。

なぜこのC子は、考えるのが嫌なんだろう。本来それをちょっとがまんすれば、楽しくなるだろうに‥

これは、いくつか理由が考えられます。まず自分でその教科はできないとあきらめていること。あきらめているから、横についてヒントを教えても、なかなか自分の理解力を十分に発揮できません。それでも粘り強く教えて、その問題ができるようになったとしても、同じ問題は、学校でも出るのです。そのテストが、彼女はできません。あれだけマンツーマンでやったのに、一週間後の学校のテストで同じような問題ができないのです。私たちも本当に悩みました。一つの原因は、家庭学習で反復していないので定着しないことです。(そのクラスで、授業で彼女が位置づいていないことも‥原因です)

なので、彼女は『やっぱり無駄なんだ。私は能力ないんだ』と思ってさらにやる気をなくすの繰り返しです。

 少し横道にそれてしまいましたが、考えるのが嫌いになる子は、固定観念が強かったりあきらめの気持ちが強い子がほとんどだといえます。

 そういう子は、個別で継続的におつきあいをする。教科をしぼって教える。なかまづくりをして、なかまを最高の教材にして刺激しあうなかで教える等々‥メンタル面でつきあう‥等々 あります。 それは別の機会に。

結論は、考えるくせをつけてあげることが、学力をあげることにつながると思います。

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その子のために壁をつくってあげましょう!    

 教えないことに関連して、前に下にも書きました。 参考になれば幸いです。

asunaros.hatenablog.com

あすなろの実

休憩タイムです‥

 タイトルを『あすなろの実』に替えました。

m(__)m

 あすなろは

そこは、こういう場所でありたい その説明です! 

(^o^)

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これは学校のイメージですね。あすなろは少人数なので

これを日常化しなくてよいのです。

 

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これは個別学習や家庭教師のイメージですね。

しかしこれは、わからないことを先生が見つけて教えるイメージです。

子が頼りすぎる。進度がはやくなると対応できなくなるデメリットもあります。

学校や塾というと、上のようなイメージでしょうか?

 

 

しかしあすなろは、下のような感じです

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なかまとの刺激のしあいがあります。(お互いに向き合う友だちではなく、

個々で目標を立て刺激しあうなかまです)

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教材をもって先生のところに来る。そこで個々の課題を個別指導する。

自分にあった教材をもらう。↑ ↓

新しいところを全体指導する。基礎的な問題を全員がやってくる。

それを参考にして個々の教材を配りやる。これの繰り返しが多いです。   

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実はめずらしすぎて、イラストもない‥です (^_^;)

何が違うのでしょうか?

そう、お子さんが主体だというてんです。

お子さんが、先生の所に来る。自ら動いてもらう。それだけで全く違う世界が。

あすなろには現在、きまりが一つもありません。

しかし条件があります。

このような心がまえの準備をしてきてください。

努力してきてください(やってこなかったら最初にそう告白する努力をしてください)

こんなふうにやってきた! これをやりたい!聞きたい!

そうすれば、

きっとすばらしくわかる!

すばらしく楽しい!

すばらしく変わる!

 

子に言うことを聞かせたい どうしたら良いか 2

 これも、自分が教師初任の一年目のときです。

教師一年目のときに初任者研修というものがあって、ある養護学校に見学、体験に行ったんです。

知的障害の子が多かったと思います。

教師一年目の若者30人くらいが、いきなり教室に入ってくる。

子たちがワ~と集まってくる。

子が集まる初任者先生と、集まらない初任者先生に、はっきりと別れたんです。

感性が人一倍強い子たちだったのだと思います。

残酷なほどに、そうだったんです。

私のまわりには集まりました。

それからずう~となぜだったのだろう?と思ってきました。

たぶん、私が弱いからではないだろうか?それが今現在の結論です。

その子たちにとっては、弱いから安心できる。それを読みとったのではないだろうか。

 

昔、あすなろスクールで、本音の話をしたことがあります。

そのときに子たちが『先生は、自分があきたなあ~というタイミングで、大丈夫?と言ってくれる』と語ってくれました。

私が今感じているのは、ボートが海でひっくり返って、そのボートに子と私がしがみついている。そして私はその子に大丈夫?と言っている。そんなイメージなんです。

そのイメージでは、その子を助けられませんよね。それでも最初は、時には、そのイメージなんです。

大人は、大きな船でやってきて、ボートにしがみつく子を助けなくてはいけない。

私も90%はそのイメージでおつきあいをしています。それが必要です。

しかし、最初は、時には、一緒に小舟にしがみついて励まし合うイメージが必要かもしれません。

 

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一言『大丈夫?』と言ってあげることが、理屈で子に説明をすることよりも勝る場面ってあると思います。その方が、あなたを気にかけているよ。愛情があるよ。というメッセージになることがあります。ときには子と同じ目線で、本音をぶつけること。

 

 それを続けると、相手は言うことを素直に聞ける環境になったりします。

 

子が親の言うことをきかなくなるときは、親の気を引きたいときもあります。親を怒らせたら勝ちみたいな。そういう状況をつくらせないことも、またお互いのためだったりします。

 大丈夫かい?は、君を気にかけているよというメッセージ。

 魔法の言葉 ‥ かも?

 

実は、子たちには長年できていたのに、夫婦関係ではできませんでした。何とか理屈で相手にわからせようと悪戦苦闘。ますますごじれたりして‥。教師の職業病が出て、ひたすら相手と向き合うのが誠実なんだと勘違いしたりして‥。お恥ずかしいかぎり。近年、相手が起きてきたら『大丈夫?』と声をかけることを習慣にしたら、関係すごくよくなりました。なんで他人の子にはできて、自分の近い人には今まで、できなかったのでしょうか?

偉そうに言っても私もそんなものです。笑

学力をあげたい。どうしたら良いか 1

 こちらも、直接的で打算的ですが、シリーズで書きたいと思います。

まずは、小学校一年生の就学前で、やっておきたいことです。

 

 中学生のときに、何回か研究をしたことがあります。

その地区の予算をあげて、学習する場所もつくり、他手厚い援助もしている。(同和地区です)20年間以上です。それなのに、子の学力が上がっていない。5段階評価では1から3の子がほとんどでした。大学進学率も普通よりも極端に低い。

 そこから予想したことは、まず

大人が子たちに対して見通しを喋れていないのではないか。具体的なイメージがわく大人が、周りにいないのではないか。勉強したらこうなふうになる。大学とはこういう所だというものが少ないのではないか。でした。

こういうものは、もしかしたら本を読むことでもある程度育てることができるのではないか。就学前にもう少し、親子で触れ合って、読み合わせをする機会を増やすなどはどうなのだろう 等々でした。

  小さいときに、できるだけ絵本を読んであげる

これはお子さんの想像力を養うことにもなると思います。想像力がないと、目の前のことばかりに気をとらえ、目的意識が持ちづらくなってしまうかも‥

 

もう一つ

  「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」

 あの山本五十六の言葉です。

特に小学校低学年のときは一緒に勉強を上のような様子でやってみる。

どうしても勉強から逃げる子はまず遊びで上のように一緒にする。

それから勉強につなげることでしょうか。

 これ、ほんと難しいですよね~。中学生は、上のようでなく『待つ』『観察する』姿勢も大人側が出てきますが、基本はこれです。私も日々反省させられています。

 

子に言うことを聞かせたい どうしたら良いか 1

 直接的で打算的にも思えるタイトルですよね。

しかし日常のなかで、お子さんを相手にして余裕がなくなる。頼むから言うことを聞いてくれと思うこともしばしば。それほど、大人側も余裕がないときも多いですよね。

 私の経験から、何回かに分けて書いてみたいと思います。何か一つでもヒントのようなものを見つけていただけたら幸いです。

 

 私が教員になったときに、生徒は全然動いてくれない。当然ですが、悩みました。

例えば掃除のとき。見まわりをしていて、廊下を掃除している子たちがお尻をついて輪になって喋っている。掃除はしていない。

 『おーい。掃除しろ!』と言ってみても逆効果。

 ときには『うるせーな!』『おまえは何やってんだよー』という気持ちや直接的な声をぶつけられるときもあります。

 

 う~ん、どうしたもんじゃろ?

 

一番意識したのは、笑顔でしょうか。まず『なにやってるの?』『どうしたの?』

と聞くこと。

頭から否定しないで相手の様子を受容して、なるべくその集団に入りこむようにしました。

簡単にいうと、その集団に入りこんでリーダーになる。そしておもむろに、リーダーとして、『さあ、掃除をやろうぜ!』と提案するというやり方です。

そのころの自分は、教師といっても実力もないただの若者だったのですから、よけいにそのような子から学ぶ態度が必要だったとも思えます。

しかしこの態度は、今でも子たちに対して使えます。    

いろいろな役者になってみることは、今でも普通にあります。

そうするといろいろな面を見せてくれておもしろいです。