あすなろの実

学び場もいがいとおもしろかったりしますよ!どうぞ見ていってください。

ダイエットで20キロ減量に成功したよ

 教育関係を少しお休みにして

教員を依願退職したときは、体重が89キロタバコを吸っていました。健康面では最悪の状態に近かったと思います。

 

不況の真っ只中の北海道に家族3人で移住しました。

傍目から見たら、『またどうして?』と人生の選択を誤って悪い方向にいっているように見えたと思います。

しかし私たち家族からすると、それが再生への道で楽しい過程でした。

今でも家族3人仲良いねと言われたりします。自分たちは決して仲良いとは思いませんが、いざというときの団結力はあるのかもとは思います。

家族の生活をある程度優先させようという意識に変え、何もかもが新鮮で様々な新しいことに挑戦していたときでした。

例えば、週末ごとに家族で余暇を過ごし、必死で家族を再生させようとしていたのかもしれません。

そうはいっても、今でも目に焼き付いていることは、当時たまたま娘と二人だったときです。娘を公園の遊具で遊ばせていて、娘が私を見失って必死になって探しているときの娘の不安な姿、必死な姿です。『ここにいるよ!』とジェスチャーしているのですが、人が多すぎて娘は気が付かず、泣きそうになって探しているのです。もしかしたら当時の生活のなかで親がいなくなってしまうのではないか。家族がバラバラになってしまうのではないかと不安を感じとっているのだなと申し訳無さとこれからの責任を感じました。

 そのなかで

石川恭三氏が著した『医者の目に涙』という本に触れました。お医者さんである石川氏が出会った患者さんの話が短編で載っています。糖尿病で失明が迫っていても、仕事に追われて自分の身体を二の次にしている患者さんの事も書かれています。

自分も教員時代の最後、タバコの吸いすぎで嫌なせきは出ているし、ストレスで急激に太りました。辞めたからこそのことがしたいと思っていた当時、この教員時代のつけだけは返さなくてはと強烈に感じていました。そして体を壊せば、家族に責任を持てなくなるなあという危機感が、この本を読んでますます増えました。石川氏は他にもいろいろと本を書かれています。

タバコは貧乏なんだからと言い聞かせ(笑)、すぐにやめました。

自分の身体を二の次にしている方には、石川氏の本はおすすめです。m(__)m

 

さて減量を決意したのは良いのですが、どうやってやるかです。

家族の楽しみの優先順位が高い今の現状、そして学生時代の自分の趣味が自転車旅行だったことを重ねました。(就職してからは、一度も自転車に乗っていませんでした‥)

ハワイホノルルセンチュリーライドという自転車の大会が毎年開催されている。それをテレビで見て、これだ!とひらめきました。

あと開催まで半年ちょっとあります。その後そのツアーを家族3人予約しました。

当時の塾生にも、半年後のセンチュリーつまり100マイル=160キロを自転車で8時間以内で完走します!と宣言しました。

教えている側が子に嘘をついたら、なんの教育力もなくなります。そう自分に言い聞かせました。

教えることを商売にしている限り、人をどうしたら変えることができるかのプロじゃなくてはいけない。その自分が自分を変えられないとしたら、お話にならないじゃないの?と、運動中も自分に言い聞かせましました。

個々の子を見て、この子はどんなこだわりがあるかを見てそこをきっかけにして変化を促すことをしてきたので、それを自分にも応用しました。

結局自分の生活のなかで、もっともこだわっているものと、ダイエットをシンクロさせるのが、一つの手だてかもと思います。

半年は長いので、その間にいろいとイベントをいれました。家族3人分の自転車を買って、サイクリングにも行きました。

自転車に乗ると、まず変速の仕方がわからない。15年乗らない間に変速の仕方一つ変わっていたことに愕然としました。また太っているので前に進みません。風や傾斜にかなり左右されます。楽しくない。これは歩きからはじめないとダメだと悟りました。

すぐに8月に開かれる、昔の教え子のいる村で毎年開催される自転車イベントに参加手続きをしました。

そして、通勤途中の小高い山に平日登り出しました。あの三浦雄一郎氏がエベレストに再チャレンジしたときにトレーニングをした由緒正しい(?)山なので、効果があるだろうと‥。山頂まで行かずに、だいたい1時間くらいで終えるようにすることも多かったです。その途中、私よりもずっと年配の方に追い越されることが、しばしばでした。だいぶ体力がついてきたときから、こんどは平地のサイクリングロードを小一時間走ることもやりだしました。今度は、私よりもずっと若い人に、自転車で追い越される日常でした。

そういうときに、こんな肥満した体型を、昔の教え子に見せても良いの?と自分に語りかけ、励ましました。

その後千葉のサイクリングの大会に出たり、娘と一緒にインターナショナルオホーツクサイクリングに参加して、3日間を走りました。(走行中は娘に携帯電話を渡しておいてきぼりにしました。娘は親に見捨てられたかわいそうな子扱いをされて、ずいぶんと親切にされたようです。すみませんでした。)

7月のオホーツクサイクリングのときは、体重は79キロと10キロの減量に成功して、走力もついてきたことを実感しました。

食事は、はじめは炭水化物ダイエットをしました。炭水化物をほとんどとりません。チーズに含まれる炭水化物だけで補おうとして、チーズをやたら食べていた記憶があります。数ヶ月すると、強烈な便秘に悩まされ、腹痛で苦しみました。極端な食事制限は、体に悪いと感じ、その後はカロリー制限のダイエットを取り入れました。

その後ハワイでは、160キロを7時間で完走できました。

しかし終盤足がつって満足に走れませんでした。そのときに悠々と追い越していった、ロードレーサーの人たちに憧れて、翌年の自転車レースの参戦とつながっていきました。

ロードレースを本格的にはじめたときは、娘も中学生になっていて、それぞれの週末を過ごすことも多く条件が整っていたこともあります。

結局、66キロまで減量ができました。

今は少しリバンウンドしていますが、来年春に向けて再度減量をはじめました。

(^^)

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子になるべく任せて主体性をつけさせたいですね

 例えば

週末にでも、とても賑わう、混みあう滑り台に行き、じっと観察してみると‥
すごい数の子たちが滑り台に群がり、その階段を登る子もいれば、階段の上から降りてくる子もいる。ときには滑る部分を下から登ってくる子までいる。横入りする子もいる。しかし不思議と、直前で譲ったり譲られたりして、おおきな争いごとになりません。うまいこと、最大多数の最大幸福を探って子たちだけで調整できています。

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あ~。子たちはお互いに寛容だなあ‥と感嘆することもしばしばです。

『あすなろ』でも小学生クラスは休み時間をもうけています。それが指導面でも、お子さんの気分転換ができて、ほんとに助けられています。

 

一方、私たち大人はいかに『怒り』をマネジメントするかが課題になることも多いです。アンガーマネジメントの世界では、自分の信念=『べき』にとらわれることが原因で怒りが起こることも多いと分析されています。

 (この公園の滑り台の件でも、ネットで滑り台逆走の禁止すべきかどうかで、お子さんそっちのけで大論争が起こりました‥)

 

このように

大人だったら‥争いごとになるのだろうなあ。

なかにはわざとぶつかり喧嘩する方もでてくるかもしれません。

そして理屈を言う人が出てくるのだろうなあ。

なにか決まりをつくろう!という人も出てくるのだろうなあ。

マニュアルが必要だ!と。

そして無言のまま遊ぶ大人→かなりこわい 笑

 

それも、もちろん一つの方法ではありますが‥。子のときにしか経験できない世界もまたあるのかもしれません。子はあまりこだわりをもっていないですから。

だから大人は少し子を見守る、いっとき間を置いて見てみることが大事だと‥思うのです。

 

あすなろも決まりを最初につくりません。

極端にいえばうまくいかないことをわざと起こしそこで子たちに考えさせることをしています。

しかしこれは決まりをつくっているよりも何倍もの苦労を大人側はともなうことも多いです。

例えば大人側があらかじめ先々を予測しなければいけません。

安全等にも配慮しなくてはなりません。

いろいろな選択肢をもって必要に応じてアドバイスできなくてはいけません。

そして何よりも時間がかかります。

周りの理解を求めることも必要になります。

 

タイトルのような場面もなるべく多く増やすと、失敗も増えますが、好奇心も増やすことになります。

それが、いざというときの意欲となり主体性へとつながっていくと考えます。

ただ、よ~くお子さんを見て、時どきのタイプを知って、子との距離感をそのつど調整することは必要になってきますよね。お互い、その点苦労しますよ~ね~。  

(^^)

やり直しをしましょうと言いますけど‥やりたくないのが本音かも 

 間違えたところをやり直しをしたら、力がつくのにどうしてやり直しをしないの?と子に言いますけど、本来私たち大人も含めて、やり直しに対してはどうなんでしょ?

 教師を辞め、家庭教師を二年間やりました。数十件の家庭に入りました。ほとんどの小学生がいる家庭が大手の通信教育をやっていました。そしてほとんど100%が、その通販の教材が、やっていないところだらけで、やり直しは全くできていませんでした。まずどうやってやり直しをするか、字をどうていねいに書くかの指導から始めなくてはいけませんでした。            

 

 山の遭難の続きついでに‥

山の遭難の最も多い原因は、『道迷い』で半数弱の割合だそうです。

道迷いに合わないために昔から地図とコンパスを持ち歩きべきだと言われていますが、なかなか登山中に地図で現在地の確認は正直しないものです。道に迷ってから、地図やコンパスを出しても、実はあまり役に立たないことも多いです。

私はわりきって、GPSを持ち歩きます。山では未だGPSは邪道という意識もあります。しかしGPSと地図を連携させて現在地を割り出すことは、道迷いの遭難の現実を知ると必要なことだと、今現在感じています。

そう感じた理由は羽根田 治さんの遭難関係の本の影響が強いと思います。

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過去の遭難の事例が詳しく書かれている本もほとんど読みました。そのなかで人は極限状態になったときにどういう行動をしやすいか、その傾向もわかってきました。

人は間違い(その道が登山道ではないこと)をなかなか認めたがらないし、立ちどまらない。戻らないそうです。焦りや時間的ロスを考えてどんどんと下って行ってしまうそうです。その結果、転落等で動けなくなることがほとんどだそうです。
個々の遭難の事例を読んでいると、なんでそんなことはわからないのだろう。なぜ冷静に立ちどまって戻らないのだろうと思いますが、極限状態になったときは、人は大なり小なり、そういう特性があるのでしょう。

半分間違いだとわかっていても、どんどんと下っていってしまい死に至る恐ろしさを感じました。

 

だからこそ 

 子たちに教えているのは、

間違えをきちんと直すこと

靴をそろえること(後ろを確認すること)

天気予報を見て雨が降りそうだったら傘を持っていくこと

教材を整理すること

わからなくなったら過去の自分がやった所にもどること

人に聞くこと

‥等。そういう態度です。

すべて自分が過去できていなかったこと(今でも?)、自分も心がけていること 

です。

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もしかしたら~。知らないことに飛びこもう。

前回のトムラウシ登山のつながりです

助かった方と亡くなった方の違いの一つに雨具の下にダウンやフリースを着ていたかどうかがあるそうです。
日本は重ね着の概念があまりないそうです。

外着一つで雨風を防いだり、防寒をするものだという思い込みがあります。

それなので『ゴアテックスの雨具は意外と寒い』なんて勘違いなことを言う方がいます。ゴアテックスの内側に違う素材をはりつけて防寒の用途をもたせたものもありますが、一般的にゴアの雨具といえば防寒としては低い性能でアウターレイヤーとして防水と防風の役割を受けもちます。防寒はミドルレイヤーで調整するのが普通です。

上記のトムラウシ山行の方々も登山のベテランの人たちばかりで、みなダウンなり
フリースを持参していたようです。しかしそれを装着しなかったのは、そういうものは
寝るときに着るものだという思い込み、ミドルレイヤーという概念を持っていなかった
からではないでしょうか。
実際に専門家(医師)の話だと雨具に暴風雨があたり、その冷たさがミドルレイヤーが十分でないベースレイヤーや肌にあたり身体を冷やし、低体温症につながったと述べています。

 

と偉そうに書いていますが、自分はロングライドのサイクリング(ブルベ)をやりはじめるときにあるアウトドアショップで何回も聞いて、なんで???となり調べたことを、さも偉そうに上に書いているだけです。
そのショップで、『雨の日、一晩中自転車で走りたいのですが、比較的何が良いでしょうか?』と相談をしたのです。

そのときにサイクリング用のミドルレイヤーに薄い撥水性のあるカッパの重ね着をすす
められました。『え?ゴアじゃないの?』何回も聞きました。ゴア一着よりも、この方が絶対に暖かい。強い雨になればゴアが必要だが、そうでなければ…と。
実際にそれで、千葉や苫小牧の雨が一晩中降り続くなか自転車で走りぬくことができました。
周りの人は、そんなウインドブレーカーみたいなもので良く走れるね。と言われましたが、知らないし、調べないのですよね。一人でいい気になっているわけでもなく、当時のブログにも紹介はしたのですけど、それからも上着の暖かさと防水性の話題ばかりでした。

知識をひけらかしているのではなく、人に聞くか聞かないかが分かれ道なんだという
ことだと思うのです。

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子たちを見ていてものびる傾向の子は聞く子、それをおもしろいと思う子です。
謙虚ニヤニヤしてなるほどね~、おもしろいもんだね~とやっていれば、
けっこう安全だったり、楽しかったりするのではないでしょうか。

 

マネジメント能力だよ!と子に言おう

 マネジメント能力とは、物事を取り仕切って運営管理する能力とあります。

例えば、中学校3年生にもなれば、進路に向けて何の教科をどれくらいやるかのマネジメント能力が必要になってくるのではないでしょうか。

逆に受験のプレッシャーがかかってくると、ただ出されたプリントをこなすだけになったり、比較的できる問題に偏ってやっていく子が出てきます。

今の段階で比較的難しい、解きにくく、解答や解説をみてもわかりにくい問題を与えたときにマネジメント能力のある子は、教えてくれ、この関連問題をほしい、もっと簡単な問題からほしい、このような難しい図形の問題をたくさんほしい、だけどいつまでにこれもやらなくちゃいけないから今はこっちの方が良いかな等々 それを迷ったり計画しようとしたり相談する傾向があります。

こちらがやらせるのとは違い、自分でマネジメントしてすると、その後の自信やのび具合は雲泥の差になるのが普通です。

 

そのマネジメント能力について、横道にいって登山を例に少し書いてみたいと思います。

私もあこがれて登りました北海道のトムラウシ山という山があります。
この山は、痛ましい遭難が多い山としても有名な山です。

7年前の夏にも、本州からの登山ツアー客ガイド3人含め18人中の8人の方が

低体温症で亡くなっています。

大雪山縦走の3日目に、雨のなか出発し、稜線で暴風雨にあい、雨風が体温を奪い、たくさんの方がそこで意識を失い明朝までに亡くなってしまいました。


この遭難を最後の最後に防げた分岐点は何なのかを考えていたときに、やはりマネジメント能力なのかなと‥。

自分が実際にトムラウシ山に登ってみて感じたことは、
本州の山と違って、北海道は避難小屋しかない(管理人がいない、食事の提供はない。宿泊人数が多かった場合を考えて個々でテント持参は必須である)

水は動物がいる関係で煮沸しなくてはいけない(装備が増える)

夏でも気温が低くなる場合がある(衣類が増える)

道が本州ほど整備されていない(霧など状況によっては迷うリスクがある)等々です。

遭難した方も、それはある程度理解していて、それだからこそ、ツアーに参加しリスクを軽減しようとしたと思われます。(自分の体力では、20キロ近くのザックを背負って縦走するのは危険が増えると感じた方も多かったのではと思います)

それでも登りたいと思うほどトムラウシ山日本百名山でもありあこがれの山だったということでもあるのでしょう。

しかし遭難後の生還された方のお話を書籍等で読ませていただくと、
「あの人がこういった」「こうしてくれなかった」という言葉が続きます。人まかせの意識を感じてしまうこともあります。

この遭難にあわないための最後の分岐点は、『稜線に出る前の判断と行動』だったと、私は同じルートを歩いて感じました。
前日の雨で濡れた衣類を着ている人もいる。体調がすぐれない人もなかにはいる。寝不足な人もいる。行動食を満足にもっていない人もいる。その上防寒着(ミドルレイヤー)をザックに入れたままの人がほとんどという状況で稜線に出てしまった。

そこは暴風雨で、身体が飛ばされないように身をかがめてそろりそろりと歩くので精一杯。悲しいですが高齢者の筋力では暴風雨のなか無理して防寒着を着ることができる方はそう多くなかったという現実があります。

生還された方のなかには、なぜそのときに立ちどまって、防寒着の着用を指示しなかったのだとあとからガイドさんを責めていますが、そのガイドとて下見もしていない人(はじめてそこを歩く人)だったのです。北海道の大雪は一度稜線に出てしまうと、逃げ場所はない傾向があります。ずっと稜線が続きます。

先(ここでは地形)を予測して自分の体調や状況と照らしあわせてマネジメントする能力は登山でもそうですし、その他の場面でも要求される重要な能力だと思います。
自分の現状を分析し、管理する能力まで人まかせにしてしまったための遭難といえるかもしれません。

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 このような旅行会社が企画する登山ツアーの形態は、教育でいうと学校や学習塾にあたるのかもしれません。主体者たる人が、相手に任せてしまい思考停止になる傾向もあることは、お互いに自覚しておいたほうが良いのかもしれません。

自分たちが何をして、子たちに何を主体的に任せるのかを、お互いに常に調整確認しあうのは、必要なことだと思います。

と同時に、子のマネジメント能力をのばすことが、生きる力をつける教育につながると考えます。

それが子たちの主体的な楽しさや、自己肯定感にもつながると思います。

人に寄り添うのか、突き放し見るのか。

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  最近、人に寄り添う記事ばかり書いているので、私が良い教育者と誤解されそうで事実とは少し違うので、そのことについて少し書かせてください。

m(__)m

 今でも迷うのは、子(人)と関わるときに寄り添うのか、突き放すのかということです。

 教員になりたてのときは、その子の今現在をいかに幸せな気持ちにしようかと意識していたように思えます。

 今は、将来より大きなカベにぶつかったときに、いかに乗り越えることのできる力をどうつけさせていくかという意識に比重が大きく変わってきたように思えます。

 昔と変わって

 寄り添うよりも、突き放し様子を見ることの方が多いようにも思えます。

すっかり、悪い先生厳しい先生になってしまったのかもしれません。笑

あすなろでも、私が机間巡視をすることはまずありません。最初に子に二三歩歩いて来てもらいます。その力をつけさせたいと思っているのでしょうか。         

 

 もしかしたら、そうなったきっかけの一つが、この下の体験かもしれません。

その親子とはじめて話したのは、彼A男が中学校二年生の家庭訪問のときでした。そのクラスの担任になった春すぐに家庭訪問があります。(クラス替えはなし)

学校を休みがちなA男そして母親は、過去の級友からの連絡プリントを見せてくれて『ひどいことを書かれている』と訴えました。そこにはサボるなよ。明日は来いよ。他ふざけているようなことが書かれていました。

クラスの他の子との人間関係がうまくいっていないから、学校になかなか行けないのだというのが、本人と保護者の言い分でした。

 

それから、学級で挨拶運動や不満な事の話し合い、彼の得意なことをなるべく学級活動に取り入れたり‥いろいろしました。彼の不登校傾向もなくなり、一安心でした。

中学校3年生の進路を決めていく時期になり、お母さんが、なんとしてもA男には高校に進学してもらいたい。私がA男と話してくれないかと頼まれました。

彼と30分以上話をしましたが、結局高校に行くとは決断しませんでした。その後しばらくたってから、やはり高校に行きますとA男は自分から言ってきました。

 結論から言うと、A男は高校を退学しました。一学期の英語のテストの点数が悪く、担任の先生が夏休みに家庭訪問をしたそうです。二学期のテストの点数が悪いと留年もあるのでがんばれということだったそうです。しかし彼は二学期になって一日も登校はしなかったようです。彼が退学をしてから、私は知らされました。

当時、母親は病気が悪化して入院をしていました。彼は退学理由に、もともと高校は先生から言われてしょうがなく行っていただけ。母親の看病をしたいから、退学をしますと言ったそうです。        

私がA男の退学を知って彼の家に行ったときに、彼は昼から友人と麻雀をしていました。話に来るかと学校にも呼びましたが、彼は来ませんでした。

母親の入院先では、お見舞いに来た方々は、ベットの下にこっそりとお見舞いのお金を入れていくのだそうです。父親がそのお見舞いのお金を散財しないようにするためだと聞きました。そのお金をA男は使って遊んでいるという話を聞きました。

その後、母親は病院で亡くなりました。酸素マスクやチューブを自分から外したそうです。

 

正直にいうと、私はどうにもできない挫折感を当時感じました。中学を卒業してしまえば、A男に対して、ほんとうに何もできない。

しかしA男が中学にいたときに、私は何かもっと違うことができたのではないか。

結局A男の逆境を乗り越える力をつけさせてやらなかった自分の責任もあるのではないか。その場の点数かせぎを自分はしていて、A男の課題を先送りしただけではないのだろうか。

はじめて話したあのとき、本人と母親の前で、

『友だちもひどい事を書いているかもしれない。しかし君が学校に来ることは本当はそれとは別のことだよ。もし嫌なことならば学級でそれを言えば?』

と私は伝えるべきだったのではないか。親身にならない冷たい先生と思われても‥

彼をときには突き放し、ときにはバックアップし、そういうことをしなかった私の責任も重いと感じています。

 去年春に、こちらに赴任してきた彼のクラスメートと会いました。現在彼は母親と同じ病気で、糖尿病から人工透析を受けていると聞きました。   

 

もう私は子に好きになってもらおうとはしません。

子が自分のことをどう思っているかに関心ありません。
私が子に何ができるか、それだけにしか関心がありません。

そう言い聞かせることが現在の私の立ち位置かなと感じています。

(^^)

~だからこその生き方

 同和教育(人権教育)を前回書いたのでそれに関わって、これだけは補足しておかなくてはということを。

m(__)m

 

この方のように、正直でセンスの良い方の方が、人権教育の専門家で、例えば人の気持ちになって考えようという人よりも

もしかしたら、前を切りひらいていく力があるのではないでしょうか

yuushuu.hatenablo

この方は暴論と言っていますが、私はそう思えません。いじめは楽しいのです。だから誰でも自分がストレスを抱えたり、弱くなると、加害者になる可能性があります。

そういうときに、相手に対しての同情では、とても解消には向かいません。

 

前回に登場した授業も、決してA子に対する同情の授業ではなく、A子がここまで考えていたんだ。すごいなというものでした。

 

いじめられている人の悲しみやつらさを知ろうとする試みよりも

その方の優しさや賢さ、たくましさに対する共感から、あこがれを得る楽しみの方が、前を切り開く力があるのではないか

ということを学びました。    

 

いじめられてきた人だからこそ、人の尊厳の大切さを知り、それを失わなかった 

生き方

 

私でいうと

今の現状だからこそ、私だからこそ の生き方は何かを

毎日のように探っています。

今の仕事も、学習塾だからこそ、学校教育ではできなかったことに挑戦しています。

少人数で、個々の見とりに基づく教育。原則授業は最小限にした教育等々‥

教師ではなかなかできなかった、海外旅行にもよく行きました。

今は身体的に、腰痛、椎間板ヘルニアからくる、左脚のしびれがあります。だからこそ、得られるものは何かを探ってきました。

結局は、例えば自分が余命半年と言われたときにどう楽しめるかを考えるきっかけになりました。         

少しの変化に対しても気づきポジティブに感じる感性があれば、楽しめるのではないかと気づきました。わたしにとってこれはたいへんな収穫です。

 

だからこその生き方は、私が同和教育から学ばせてもらった最大の財産です。

感謝しています。

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